2011年4月5日火曜日

依存症克服ヘの10のステップ

依存症シリーズ三回目です。初めての方は、以前の記事も見てくださいね。

依存症とドーパミン
依存症の治療

わたしの依存の対象は甘いもので、これにはドーパミン以外にも、いろいろな生化学的な原因があります。でも、ここでは、ドーパミン異常ということで、他の様々な依存症とも共通する克服法を書いてみたいと思います。

1  気づくこと。気づかないと、始まりません。当たり前みたいですが、世の中の依存症の人のほとんどは、現状否認しているので、だからこそ、依存症がすすんでしまうのです。

気づくのは、本人が気づかないと意味ないです。多分一番手っ取り早いのは、「実験」のつもりで、そのものごとをしばらくやめてみること。やめられない自分に気づけます。

2  気づくと、とっても苦しい、っていうのは想像できますよね?自分が自分でコントロールできないことに気づくわけですから。でも、その苦しみが、「よくなろう」という意志につながるんです。本人の意思なしでは、依存症は克服できません。(意志があっても大変なのに)

念のためにいっておくと、このときの苦しみって、ものすごいです。今までの自分の馬鹿さ加減に絶望して、髪をかきむしって夜中に号泣したいくらい。これは、私の経験だけでなく、大の男の人でも、こうなるようです。

3  ドーパミンの働く仕組みを、本人と、できればまわりの人たちも、理解すること。特に家族のいる場合、家族の協力なしで依存症を克服するのは、ものすごく大変です。というのは、多くの場合、家族も共依存状態で、本人の依存症が問題だ、という一方で、それに慣れていて、ある意味で頼っているから。

また、家族など、まわりの人も現状否認している場合が多いものです。

4  まわりが手や口を出すのは、逆効果です。脳の報酬系は、それを手に入れるために努力が必要だと、ますますよく働くんです。だから、たとえば罰則を決めたり、出かけるのを邪魔したりすると、ますます依存症がすすみます。(やっかいなんだなー)

また、この原理は、本人の心の中でも同様。つまり、自分を罰することでは、よくなるどころか、ますます深みにはまってしまう。

5  心身の禁断症状の管理。たとえば、依存の対象となるものが欲しいなーと思ってそわそわするのは、やめた時におこる当然の、予測しうる症状で、ある意味で、よくなっている証拠。だから、特にはじめの一週間くらいは、日程を調節して、十分な休養がとれるようにする。

(もっと深刻な禁断症状は、医者の助けを得るなどしてください)

6  依存の対象となっているものごとを思い出させるものやこと、たとえば、アルコール依存症の場合なら、以前よくいっていた酒屋やバーを避けること。前回、「アルコール依存症の人の場合だと、お酒を飲んだ時にドーパミンが出るだけでなく、お酒の自販機を見たとたんに、過去の記憶から、出てしまう」ってあったよね。

もっとも、これを徹底しておこなうのは、不可能。だって、現代社会は、依存の対象となるようなものが簡単に手に入るようにできているから。しかも、依存症の人は、その手がかりを見つけるのが、すごく上手。ドーパミン効果で学習しているからね。だから、他の人は気づかないような遠くのものかげにある自販機も、めざとく見つけてしまう。

7  依存の対象となっているものごとが欲しい!という衝動がおきた時、それを行動に移さない練習をする。もともと学習によって身につけたわけだから、別種の学習をくり返せば、そのプログラムを書き換えることは、可能なようです。この場合ポイントは、衝動がおきた時に、そこから気持ちをそらす練習を重ねること。

経験のある人は知っていると思うけど、いったんこの衝動がおきると、他のことは一時的に考えられなくなります。だから、なるべく単純な代替行動を決めておいて、そちらに気持ちをそらす練習をする。たとえば、衝動がおきたら、とりあえず好きな人の写真を見る、とか。水を飲む、っていうのもいいようです。

そして、一日、依存の対象に手を出さずに過ごせたら、その成功を自分にほめてあげること。

8  依存症克服にとりくんでいる仲間を見つけること。依存症に陥っているときって、「こんなヘンなことをしているのは、自分だけに違いない。恥ずかしい。自分を罰してしまいたい」「他の人は、みんな、元気できれいで生き生きと生きている」と思い込んで、自分をますます孤立させ、追い込んでしまうものですが、以前書いたように、依存症は現代病で、実はすごくたくさんの人が、それぞれ悩んでいるんです。そこに気づいて、「自分、対、世界」という見方を変えると、ラクになるし、仲間同士話あうことで回復の励みになります。

9  あせらないこと。これは、残りの人生すべての問題で、今すぐよくなって、あとは忘れていられる、という種類のことではないの。

10  「よくなろう」という意志、十分な栄養と休養によるからだ全体の健康の回復、問題行為を含まない新しい行動パターンの確立(要するに、もっと健康的な楽しみを見つけること)、そして、これは深刻な健康問題なんだ、という自覚。

現時点でわかっているのは、これだけのようです。歯がゆいというか・・・

4でいっているのは、ドーパミンは、本人が何かの形で「努力」して報酬を得る時、よりよく出る、ということ。これは、一回目で書いた、学習のための方便としてのドーパミンの作用を考えてもらえば、納得だよね。ドーパミンっていうのは、もともと、生存のために好ましい行動を身につけるために分泌されるので、努力して困難を乗り越えようとする時、ますますよく出る。

棚からぼたもち的にいいことがあっても、それは嬉しいには違いないけど、一生懸命努力して、困難を克服して得たいいこととは、違うわけ。後者の方が、ずっとたくさんドーパミンが出る。

だから、まわりの反対を押し切ってなけなしのお金でギャンブルするとか、かくれて飲みにいくとか、無理なダイエットのあと甘いものを「特別なごほうび」として食べたりすると依存症はすすんでしまうわけ。

9は依存症の本質に関わっているので、落ち着いて考えてみてほしい。ドーパミンは、本来、努力して好ましい行動をとった時に、それを強化するために分泌されるもの。だから、依存症っていうのは、言い換えると、この過程を抜かして、手っ取り早い方法でドーパミンの効果を得ようとすること、ともいえる。だから、依存症の人は、その回復にも手軽さと早さを求めがち。でも、そうはいかないんだな。

むしろ、そのお手軽さを求める傾向そのものを克服すること。「あせらない」というのは、そういう意味。

10に出てくる「もっと健康的な楽しみを見つける」っていうのは、依存症の人にとってはすごく大変です。だって、依存症というのは、ドーパミンの分泌をある特定のものごとに頼っている状態なので、普通楽しいと感じるようなこと、たとえば友達とおしゃべりするとか、スポーツとかでは、もうドーパミンが十分に出ないの。だから、他のことが楽しい、って感じられたら、かなりいい方向に向かっているということ。

ただ、はじめのうち、あまりピンとこなくても、なにか楽しそうなことをする、っていうのは大切だと思う。くり返しになるけど、依存症は、罰では治らない。いや、人間は、そもそも、罰による学習にはあまり反応しない。だから、少々とってつけたようでも、なにか「楽しい」ことをすること。

ドーパミンの力って、意志力より強いですから、 意志力だけでは、依存症は克服できないです。意志は必要だけど、意志力だけに頼らないこと

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2 件のコメント:

  1. こんにちは。シリーズも読ませていただいています。
    自分でもいろいろと実験しながら気づくことは、摂食障害はじめあらゆる依存症の根は深い、ということです。

    言葉どおり、悪習慣を【自分の体にしみこませ】てしまっているのだと感じます。
    (だからこそ何度も同じことをしてしまうのだろうから)なので今回の、『衝動がおきた時に、そこから気持ちをそらす練習を重ねる』というとろこにはとても頷けるものがありました。

    そうやって地道だけど、少しずつ鍛錬していくしかないのだと思います。鍛錬というとストイックに聞こえてしまいますが、体の中の変化を起こすくらいのものですからそれくらいの意味合いがあると思います。

    昨日よりは食べすぎを防げた、その昨日よりも今日はもう少し控えめにしよう・・・など。

    ドーパミンを簡単に放出させることに馴れてしまった体は、こういう地道な努力ができなくなってしまうのだと思います。
    これが、過食に伴う無気力感なのかな、と勝手に考えてしまいました。

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  2. Yukaさん、
    読んでくださってありがとう。
    おっしゃるとおり、摂食障害の克服は根気がいります。気分を変える、というの、単純なんだけど、これがなかなかできないのよね。
    あと、基本的なからだづくり。からだができていないとダメみたいです。ドーパミンとか、生化学的な問題ですから。

    お大事に。

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