2013年2月8日金曜日

アメリカの差別問題の現在

「アメリカは、人種のルツボ」といわれるけど、私は、違うと思う。ルツボなら、混ざって、子どもの世代は同じくらいのベージュトーンの肌色になるはずだけど、そうはなっていない。

なぜか、というと、白人が白人との結婚を望むだけでなく、黒人も、黒人との結婚を望む人が多いからだ。もちろん例外は多いけど。

異人種間の婚姻は、1967年をもって、全米で合法化している。(それ以前に合法だった州も多いが、リンクした記事の地図にあるように、南部諸州では、このころまで認められていなかった)

差別撤廃の法改正としては、もっと重要なのは、1964年の公民権法だ。リンカーンが、1863年に奴隷解放宣言をして、実に100+年後のことだ。奴隷解放宣言は、宣言であって、実際は、まだ南北戦争が続いていたし、その後、全米で奴隷制が廃止されてからも、差別は続いていた。その差別のいうのが、日常レベルでどのくらいのものだったかは、たとえば「マルコムX自伝」を読むと、よくわかる。

1960年代。これ、それ以後に生まれた、若い人から見れば、昔のはなしなのかもしれないけど、みようによっては、ついこの間のことですよね。

そして、約50年後の今、事態はどうなっているのか。


(写真は、Wikipediaから借りました。左が、マーティン・ルーサー・キング牧師、右がマルコムX。それぞれ、まるで違うアプローチで差別撤廃に貢献した人たちです)
(話はそれますが、マルコムX、すんごいかっこいいよねぇ。映画では、デンゼル・ワシントンがやっていたんだよねー)

まず指摘しておかないといけないのは、差別というのは、差別されない側の人間、つまりメジャー側の人には、見えない、存在しない、ということ。

これは、「アメリカの」「人種差別」に限ったことではなくて、社会学的に、いろいろな面で実証されています。

だから、日本人の多くは、「日本には差別はない」ってなことを、平気でいっちゃうわけです。そういう人の意識には、アイヌとか、在日とか、最近になって婚姻や就業のために入ってきた外国人(特にアジア系)の人の立場は、のぼってこないんです。

差別撤廃の難しさのひとつは、ここにある。ごく普通の、別に悪気のない人が、こと差別問題となると、知らないうちに改善へのネックになってしまう。

もう一つは、トラウマの記憶の問題。60年代までは、人種差別が歴然としてあったわけだから、例えばわたしと同世代の米人の親の世代は、それを経験してきているんです。で、自分のしてきた苦労を、子どもに話す。いや、子ども世代も、小さい頃、まだ残っていた差別的な習慣を覚えているかもしれない。

そういうつらい記憶って、後を引くんですよね。今、本当はどうなのか、をあるがままにみることが、できにくくなってしまう。

三つ目の問題は、やっかみ。自分が、ちょっと不利な立場に立つと、そしてその自分が、一般的に差別されやすいとされている社会グループに属していると、すぐに「差別された!」と騒ぐ人って、いるものなんです。他の人も、同じ苦労をしているのかもしれない、という目配りができないらしい。

さて、私が渡米したのは、1995年です。20年近くの間に、北部(中西部)と南部と西部に住んで、学校に行ったり、仕事したりしてきて、どんな差別の経験を見聞してきたか。

。。。と考えてきて。。。あの。。。えーと、、、差別された経験って、ないんですけど?

***

あ、でも、ここで、差別とは、何なのか、定義しておかないと。大きくわけると、二つの考え方があると思う。
  1. 雇用機会均等法などにあるように、"race, color, religion, sex, national origin, age, disability or genetic information"(人種、肌の色、宗教、性別、国籍、年齢、身体能力や遺伝的素質)によって、機会(チャンス)が不均衡に与えらること。
  2. そういうことによって、違う扱いをすることすべて。
この二つの違いは、重要なんです。1は、どういうことかというと、たとえば、エンジニアの職を全うするのに必要なのは、適切な教育および経験、そういう教育や経験で培われた知識と技能、ですよね。肌の色や性別は、関係ないんですよ。

理工系に男性が多い、というのは、米国もですが、だからって、エンジニアの仕事をするのに、オチン**が必要なわけじゃない。人種も宗教も、関係ない。だから、そういう理由で、雇用や昇進の扱いを変えるのは、差別なんです。

一方で、その仕事をするのに、ある種の人種(など)の特性が必要な場合もあるわけです。マルコムXの映画を作るときは、あの人の役は、黒人俳優じゃなきゃつとまらないわけですよ。そういう場合は、黒人以外の俳優を(たとえ、非常に有能な俳優であっても)採用しないのは、差別ではないのです。

日本では、2の考え方が一般的なようですね。すべての人を、まるで何の違いもないかのように扱うのが、平等ということだ、と。アメリカでも、そういう考えはありますが。。。

でも、違いというのは、歴然としてあるわけですよ。私は、その違いを認めつつ、その違いが本質的な問題とならない場面では、公平なチャンスを与える、1の考え方が、実際的ではないかと思います。

***

で、私の経験に戻りますが、まず、学校は、全然問題ないですね。授業料を払って、授業に出席して、クラスでの討論にも参加して、決められた論文をきっちり書いて提出すれば、何人だろうと、単位が取れる。実に、単純明快です(もっというと、English のクラスで、自分は米人だから英語は当然できる、とタカをくくって、パラグラフ・ライティングの練習をいい加減にしたり、そのときの課題の意味をよく考えたりしない学生が、B や C をとるのを尻目に、A をとるのは、気分爽快じゃないですか)

仕事探しは、大変でしたが、これは、必ずしも、差別のせいではなかったと思います。アメリカの会社は、即戦力を求めているので、同種の職歴がない人が、仕事を見つけるのは、誰にとっても、難しいんです。つまり、インターンとか、パートとかで、職歴を築いていないと、新卒者の職探しはとても大変、ということ。これは、白人の若者も同じだと思います。

それでも、仕事は、見つかりました。わたし、これってすごいことだと思うんです。私みたいな、その2年ばかり前に渡米したばかりで、英語は、まあできるけど、でもちょっと訛っている、そして、既に30代の女を、雇ってくれようというところがあるんだから。(日本で、こんなにうまくいくだろうか?)

ある意味で、アメリカの企業って、仕事ができさえすれば、肌の色が緑色で、目が3ッつある宇宙人だって、雇ってくれるんじゃないだろうか(あ、もちろん、就業許可証は必要です)

就職してから、差別されたのは、、、えーと(すぐに思いつかないので、一日中、考えてみた)、、、あ、あります。

日系企業に、通訳兼秘書として勤めていたこと。そこには、もう一人、同じ役の人がいて、えーと、その人は日米の混血で、だから両国語に堪能、ということになっていたけど、実は、あまり英語のできない男性でした。こういうことを書くと、うぬぼれとか思われるかもしれないので、イヤなんだけど、まぁ、私とその人では、通訳としての能力が、格段に違う、というのは、社内の誰にとっても明らかで、だから、急な仕事、大切な仕事は、私の方にまわってくる。

それなのに、あるプロジェクトの通訳が、何の選考も相談もなしに、その人の方にいっちゃったんです。聞いてみると「このプロジェクトは、残業があるかもしれないから、男性向きだと思って」と。

これ、上の雇用機会均等法に照らし合わせると、差別なんですよね。

残業ができるか(あるいは、したいか)は、勝手に推測しないで、本人である私に聞いてから決めるべきなんです。そうしないで決めちゃう、ということは、本来なら、私にもあるはずのチャンスを、与えなかったことになるので。

その他の会社で、差別された記憶って、ないなー。仕事だけでなく、私生活でも、たとえば、アパート借りるのも、うちを買うのも、その他のお店のサービスでも、自分が有色人種だから、あるいは、外国人だから、女性だから、ある年齢だから、という理由で、差別された記憶は、ないです。

(あ、強いていうと、一人でレストランに行くと、サービス悪い気がする。ということは、人種差別より、性差別の方が、根強いのか?それとも、これは、女一人が食べる量なんてしれてるから、従って大したチップも期待できない、ということからくる、現実的な対処なのか?)

(あ、それと、これは、私が黄色人種だから、黒人の受ける差別が見えない、見えにくい、ということは、あるかも。実際、わたしがいたころ、北部と南部の境界の街シンシナティで、白人警官による黒人殺害事件があったし)

***

自分以外の人が、差別されているのを見聞きしたことはあるか?

うーん。これは、微妙な問題です。自分のことじゃないから、本当には、何がおきたのか、外からは充分にわからないから。

勤めていた会社の重役は、確かに、白人男性が多かったですね。でも、それが極端だったのは、先にあげた日系企業だけで。そこの米人重役は、一人が白人女性、他は全員、白人男性でした。(一人、女性が混じっているのは、「だから、うちは性差別していないんだ」といいわけするためです。いわば、スケープゴートにされた、あの方も大変だったでしょう)

オハイオの、比較的、黒人の多い都市の会社ですから、あれは、ちょっと不自然だった。黒人、あるいは、有色人種が、全人口に占める割合は、地域によって、すごい差があって、米国全体では、15−20%くらいらしいけど、50%を超える都市もある。コロンバスは、25%くらいだったんじゃないかな。

差別がなければ、管理職とか、あるいはその都市の政治家とかは、その地域の人口構成を、程よく反映するはずだから、そういう意味では、かくれた差別というのは、まだあるんでしょう。その日系企業以外の会社には、有色人種の重役も、何人もいたけれど、本当に人口比を反映しているかどうかまでは、私は知りません。

でも、私見では、そういう、いまだにかくれて存在する、グラスシーリングよりも、より問題なのは、差別ということに過敏反応してしまう心理だと思う

たとえば、シェークスピアの作品の中で、オセロとかベニスの商人は、最近、上演されることが少ない気がする。いい話なんだけど、確かに差別的な表現も含まれていて、そういうのを見て不快な思いをする人もいるだろうな、と思うし、そうである以上、商業演劇として、やりにくい、という事情もわかる。

でも。。。オセロって、理想の女性と結婚してしまった後の、男性の恐怖や弱さが、実にうまく描かれていて、貴重なんだけどね。。。(ほとんどの文学作品は、結婚するところで、話は終わってしまう。あるいは、結婚した後、相手が理想と違うことに気づくことに、基づいている)

そのへんがね、まあ、どういったらいいのか。。。実際には、既にあまり存在していない差別に、過剰反応してしまう社会、いや、存在はしているのかもしれないけど、それほど過剰反応しなくてもよさそうなものなのに、そうしてしまう、そこが、差別というものの、本質的な悲しさだと思う

追記
ご存知の方も多いでしょうが、「マルコムX自伝」(日本語訳もあるんですね)は、彼が、アレックス・ヘイリーに語った話をまとめたもので、ヘイリーは、この経験を機に、自らの家系に興味を持って調べ始め、後に大作「ルーツ」を書きました。

私は、マルコムX自伝は、大学の課題図書として読まされました。すごくいい本なんだけど、同時に、あんなに読んでいてつらい本も少ないでしょう。私は、それなりにしぶとくて、センチメンタルなお涙頂戴ものには、少しも心を動かされないけど、あれは、すごかった。

映画も、お勧めです。時間の制限などから、原作とは変えてあるところもありますが。映画のはじめ、星条旗が燃やされていくところで演説している声は、デンゼル・ワシントンではなく、本物のマルコムXです。

追記2
上の説明では、「マルコムX自伝」の魅力が伝わりませんね。あれは、最後で、ものすごくよくなるんです。それまで、ぐちゃぐちゃに暴走していた、とんでもない量のエネルギーが、あるところで、ぴたっと焦点が定まって、そうなると、エネルギー量が膨大だからこそ、もう、天まで飛んでいってしまう、みたいな。最後の章なんて、もう、お祈りか聖歌みたいに、美しいです。

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2 件のコメント:

  1. アケミさんのブログ初めて拝読しました!

    アメリカでは即戦力になれば宇宙人でも雇うんじゃないかってところ
    すごくリアルだなあと思いました。
    アメリカのすごくシビアででもすごくいいところの1つなのではないかと思います。

    アケミさんが書いておられるように、
    自分と他人を区別するということそのもの、
    そして自分と人は見た目もバックボーンも違うという事実そのものを
    「ないものとみなすこと」が
    まず第一に問題がこじれてゆく第一歩だと思います

    いぐの学生時代の友人(ラテンアメリカの子で肌は茶褐色でした)は
    ボーイフレンドをとっかえひっかえしている恋多き子でしたが
    その子が、「黒人の人はダメ」
    と言っていたことがあります。
    理由を尋ねてみると、「色が黒すぎるのがタイプじゃない」と。

    こうして書いてみるとごうごうたる非難が巻き起こりそうですが
    いぐはこれは普通のことだと思うのです

    例えば、あの子は色が白いのがタイプじゃない、とか
    あの子は僕にはガリガリすぎる。もっとぽっちゃりした子が好きなんだ、とか
    そういうことと同じことなのではと思ったのです。
    いぐはスラブ系の人のしろーい肌もうつくしいと思うし
    アフリカ系の人の筋肉質な脛や低く暖かい声の感じも素敵だと思います
    それはいぐには欲しくても手に入らないもので
    それはみんな平等に持っている
    「欲しくても手に入らないもの」と「好き嫌いに関わらず最初から持っているもの」の1つだと思います。

    障害があって例えば車いすの人が階段で途方にくれていたら
    手を貸すのは当然のことです。
    階段に登れないのば事実です。
    足が動かないのも事実です。
    でもその人がいぐの恋人と浮気したら
    足が動こうが動くまいが同じように引っぱたくだろうと思います。

    KKKのことやドイツでのトルコ人労働者問題を見ていて感じるのは
    「取り込まれていく」という本能的な恐れが
    差別を加速させていくのではないかということです。
    ユダヤ人迫害にも同じことを思いました。

    KKKが人々を迫害していた頃、黒人の男の人には野性的、また
    魔術的な肉体の魅力があって、それに白人女は魅せられ、さらに
    黒人の人の繁殖力(!)は強く、どんどん勢力を拡大してゆく、なんてことが
    ずっと言われていたといいます(いぐが研究していた頃の本には書いてありましたが、本当でしょうか??)

    そういう自分たちが食われる、という恐れを私は大量虐殺からは感じます。
    種としてみれば、葦毛の馬と栗毛の馬と白い毛の馬とくらいの違いしかないのですが、あたかも全く異なる動物であるかのように人は争うんですね。

    すっごく長くなってしまいました!ごめんなさい!!

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  2. いぐさん

    来てくださったんですね。ありがとうございます。
    そう、この、アメリカのプラグマティックな態度は、すごい強みだと思います。生き残りのためには、合法的なことはなんでもする、みたいな。私は、こういう理屈にあったところ、好きですね。

    個人の好みの問題は、ホント、差別とは別なんです。私も、恋人には、ある種の肉体的特性の人をえり好みします。それを批判されたこともありますが、ある意味で、当然じゃないですか。相手を選ばないのは、売女です。

    いぐさんが指摘するように、違いにあわせて、手助けが必要な人も、いるわけですし。(恋人が浮気したら、その相手をひっぱたく前に、恋人をひっぱたいたほうがいいと思いますが)

    「取り込まれていく」という本能的な恐れ ––ああ、いいことを指摘していただきました。そうなんですよ。根本的なところには、理屈で処理しきれない、未知への不安があるんです。(そういう意味で、たとえば、他人種との交流のより少ない日本人の方が、米人より、潜在的に差別意識が強いかも)

    繁殖力ね。。黒人の子だくさん、というのは、今も揶揄されますが。。。でも、大抵の人は、望むだけの子どもができたら、避妊しませんか。自然な繁殖力にまかせているのは、避妊が行き渡っていない地域/社会に限られている気がするんですが。

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